------------日本歴史の重要なルーツ------------
福岡の西隣・糸島半島からの隔月連載WEBエッセイ
 

                        博多湾の糸島半島側から見た志賀島

連載12
なぜ大都市東京から
福岡の西隣・糸島半島へ移り住んだかの決意
  

 

 1995年、阪神淡路の大地震の直後、新幹線が完全復旧していなかった4月、引越しの10トントラックを追いかけるようにして羽田空港を愛妻とともに一匹の猫を伴って、福岡に向けて飛び立った。

4月18日、ANA216便の搭乗券が今なお私の名刺ファイルに残っている。

東京での世田谷区下馬、成城30年間の暮らしにはさまざまな想い出がある。

東京では多くの良き友人、仕事仲間に支えられ、仕事に最善を尽くすことができた。

しかも海外取材の必要な仕事が多く、貴重な経験を積み重ねることができた。パリには2度ばかりの滞在だったが、滞在期間が何れもかなり長く、パリの佇まいに京都を想起していた。

パリは石の壮大なレリーフなら、京都は木のレリーフだと直感した。

その記憶は今なお、しっかり鮮明に残っているらしい。

東京にある江戸的なものは嫌いではないが、何か馴染めない。

おでん、うどん、,江戸前寿司の濃い色と味には馴染めない。

仕事を続けるには、さまざまな分野での有能な人たちが多い、インターナショナルな東京にいるにこしたことはないが、仕事を離れ、余生を喧騒な大都会で過ごすことには疑問を感じていた。

それは京都生まれで40年間暮らしたことのせいかもしれないが、だからと言って、すんなり、京都には帰れない。

京都の貴族性には未練はあるけれども、フランクに接することが難しいところがあって窮屈だ。

政権交代の絶えなかった長い歴史の舞台ではうかうか本音を言っては命が危なかったのだからと思うのだが。


 そ
んなことを思っていたころ日本旅行作家協会の韓国グループの世話役を担当していて、 斎藤茂太さん、岡部冬彦さん、中村浩美さんらとソウルをはじめ扶餘や慶州を何度か訪ねることができた。

それがきっかけで?日本の古代史に興味をもち、手当たり次第に古代史の本を読み漁った。

その中で大いに興味を惹いたのが、3世紀に書かれた中国史書「魏志倭人伝」に出てくる伊都国。

そこは福岡の西隣、前原市・志摩町・二丈町をカバーする糸島半島と推定されるだけではなく、具体的な歴史的証拠もかなりある。

それとは別に、建築雑誌には百道浜(モモチハマ)のウォーターフロント都市計画が日本全国抜群に優れていると記されていたこと、ゲームソフトの雑誌の編集長をしていた私の娘が毎月新製品の取材に行かないと遅れをとると言って、東京福岡を忙しく往復していたことを身近に見ていて、「伊都国に移り住むしかない」と決意した。

娘たちの幼いころ作った金魚と鯉ごっちゃ混ぜの池も移転しようということになり、電話帳で選んだ鯉屋さんにモダンな?池を作ってもらい、前もって12匹の鯉たちを空輸。

その運賃はなんと6万円。

われわれ夫婦二人分の航空運賃をはるかに上回る。


 少
々前口上が長くなっていまったが、お許し願いたい。

いざ伊都国に住んでみると、外から見ているのとでは違うだろうとは想像してはいたが、 伊都国であったころの遺跡の中にいると、伊都国の人たちや山川草木を生々しく現実的に実感してギクッとすることがある。

伊都国全貌の実態のすみからすみまでを考証できないであろうけれども・・・・。

ここ伊都国は、1世紀から4世紀にかけて、つまり弥生時代後期から古墳時代の前期にかけて中国大陸や朝鮮半島の先進文化を受け入れた基地として、現在の福岡(博多)の西部九州で権勢をふるっていた。

それを象徴しているのが、前原市にある平原遺跡で発掘された巨大な内行花文鏡。

直径46.5cmの大きさ、しかも同じ大きさの鏡が合計4個も女王の墳墓から発掘された。

これらの銅鏡は八咫鏡とも言われている。

連載−4で述べたように、この銅鏡の円周の長さが女性の親指と人差し指との指先の間隔寸法を表す1咫の8倍に当たることから八咫(ヤタ)の鏡といわれる。

未公開の3種の神器は勾玉、剣、八咫鏡であるとのこと。

平原の遺跡からも勾玉と剣とともに発掘されている。3種の神器が2セットあることになるわけだ。




連載−6で述べたように、九大移転用地の志摩町地区では27基の製鉄炉と鉄滓が50トンも発掘されている。

剣などを造る技術や設備が完備していたであろうことは容易に想像がつく。

さらに埋葬されていた人物が副葬品から身分高く、相当な権勢をふるった女性であると推定される。

当時の陰陽(オンミョウ)思想に従って、十月下旬、男神を意味する太陽の光芒が夜明けとともに高祖山の同じ稜線にある日向(ヒナタ)峠から女王の股間に射し込むように埋葬されていたと推定されている。

その女王とは、まさに卑弥呼ではないか。


 こ
の辺りは糸島という地域だが、伊都+志摩→糸島ということなのか。

志摩町は糸島半島の北部にあって、玄海灘が美しく見える。

太陽を背にして見るから、その紺碧の美しさは最高。

昔は前原市との間は東西から深い入り江が食い込んでいて、志摩町は島のように見えたのであろう。

島→志摩とも思われる。

また、拙宅の近くに周船寺(スセンジ)という地名があるが、寺跡らしきものはなく、古くから周船司と言われていた。

海外からの船舶を管理する役所があったことに由来しているに違いない。

古代の伊都国の存在を裏付ける事実が発見され、気づくごとに、今ここに移り住んでいることに喜びと誇りをしみじみと感じる。


 
防やあぜ道で土筆を摘むたびに、小川のせせらぎで戯れるメダカを見るたびに、れんげの花が敷き詰められた絨毯の上で飛び交う蜻蛉や蝶たちをぼんやり眺めているたびに、古代伊都国の息吹を胸いっぱいに吸い込むことができる。

生死の境なく、私の小さな命が天地に果てしなく連なる思いがする。

私は今、2002年の春、日本の歴史の源流、伊都国で生きている。

東京での多くの遊びや仕事の友人、そして聖なる仲間と交流しながら・・・。

福岡でのそうした友人は未だ少ないけれども・・・。

この夏アメリカにいる天使2人が賑々しくやってくる・・・!

 



ペリカンから一言
北根さん、奈良県榛原町(はいばらちょう)に 八咫烏(やたがらす)神社という古い社があるのはご存じでしたか?
八咫(やた)というかなり特殊な言葉だと思いますが、伊都国と榛原町に共通して多いのは古代遺跡ですね。遠い二つの地点を結ぶキーワードではないですか?
門外漢のボクがなんでこんなことを言うかというと、実は八咫烏はもうすぐ始まるワールドカップの共同開催国である日本サッカー協会のシンボルマークなんです。
そして、共催相手は韓国というのもこじつけが過ぎると言われるのを覚悟で言えば、因縁めいてはいませんか。
細かな謂れは資料が今手元にないので述べることはできませんが、八咫烏は勝ち戦の道案内をしたという伝説があるそうです。
ワールドカップでの日本代表の活躍を祈ってこの5月19日に必勝祈願の「八咫烏祭」を開くんですよ。
学問的な裏付けは北根さんにおまかせしますが、この古代と現代とつなぐ連想は単なる妄想ですか!

これが日本サッカー協会のシンボルマーク・八咫烏



■北根さんからの返事

伊都国通信 連載12 ★余談 <八咫鏡と八咫烏>

奈良県榛原(ハイバラ)にある八咫烏神社で、サッカーW杯を目指して地元が日本サッカー協会のエンブレムを掲げて5月19日に「八咫烏祭り」を立ち上げて、大いに町づくりをやろうと燃え上がっているという日経新聞の記事を発見。

ぺリ館の編集長から「余談」を付け加えようということに相成った。

八咫烏とは日本神話では、日向の高天原(タカマガハラ)に天下って天岩屋戸にこもった太陽神、天照大神を祖とする神武天皇が九州の日向(ヒュウガ、宮崎)にいたと、古事記や日本書紀に記されている。

その神武天皇は東方遠征を企て、筑紫、安芸、吉備を経て難波に入り、生駒山を越えて大和に入ろうとしたが阻まれ、紀州を廻って熊野から大和に入ろうとして苦戦し、進路に迷ったとき、八咫烏が現れて導かれ、大和に進入して建国したとされている。

その年代は定かではないが、八咫鏡が出土した伊都国繁栄期の平原遺跡(150年ごろ?)の時代より、かなり前のことであろう。

そのように日本の古代神話と古代歴史とが交錯していた状況から、何かを明言することは できないが、昨日近所の志登(シト)神社の大きな海亀のような形に石を積んだ古代の墳墓を見に行ったときに四五羽の「かちどり」=「かささぎ」がけたたましく鳴くというよりは叫ぶのに出会った。

墓の側に近づいてはいけないとこちらが叱られているような感じだ。

東京でよく見かけた「おなが」と色は違うが、姿や鳴き声がよく似ている。

烏よりほんのわずか小さいようだが、羽の一部が白く、黒白のコントラストが印象的。

 



このページを初めて読む方へ・・・ペリカンから一言

このサイトでは古代遺跡に魅せられ、東京から九州福岡の東隣、糸島半島に移住された北根さんに隔月で、「伊都国通信」というWEBエッセイを書いていただいています。

古代に「伊都国」と言ったこの地域ではしばしば発掘が行われ重要な成果があがるようです。

その代表的な例が前原市にある平原遺跡で発掘された巨大な内行花文鏡。

八咫鏡(やたのかがみ)ともいわれ古代権力者の重要な神噐に相当するようです。(詳しくは上にスクロールして八咫鏡の写真部分の前後をお読みください)

この「八咫」という言葉に過剰反応したのが当サイト編集長のペリカン。

八咫といえば八咫烏、八咫烏といえばサッカー日本代表。

この勝ち戦を導く伝説の鳥のことはおぼろげながら知っていましたが「八咫」というかなり特殊な言葉を持つ鏡と烏はなんらかのつながりがあるのでは、と北根さんに問い合わせた所上記のような返事をいただいた次第です。

「八咫烏は多分こちらで言う「かちどり」のことではないですか。しょっちゅう見かけますよ」

「え、伝説の鳥は実在しているんですか?」

「正式名称は「かささぎ」で本州にはいないけど、九州には生息しています」

「!・・・・・」 そこでぼくは柄にもなく辞典を引っぱりだしてみた。

[かささぎ」
福岡、長崎、佐賀諸県に生息するかささぎは、推古天皇の時代に新羅から献上されたとも、豊臣秀吉の朝鮮出征時に佐賀藩が朝鮮から移入したとも言われ、また、「かちがらす」の名は加藤清正が鳴き声を聞き戦勝のきざしとしたのに始まるが朝鮮名も「カチ」と呼ぶとのこと。
(平凡社・世界大百科事典より)(辞典の「かちがらす」は「かちどり」の別名・・・ペリカン註)

朝鮮渡来のかささぎは「かちがらす」とも言われやはり勝ち戦を導くとしている。

「かささぎ」が八咫烏であるとはどこにも書いてはいないけれど、伝説を創る資格は充分に持ち合わせていると思います。

また、北根さんのおっしゃるように八咫烏と八咫鏡を同列に論じるのは伝説と史実を混同しかねず、厳密に証明するのは難しいかも知れませんね。

ぼくの知識ではこれ以上証明することはできませんが、どなたか詳しい方がいましたらお教えください。

ちなみに、佐賀県の県鳥はこの「かささぎ」で、そのかわいいイラストがホームページに載っていますよ、と北根さんに教えていただきました。

人呼んで、ナビガラス!

八咫烏神社の19日に行われるお祭りは地元ではかなりの盛り上がりを見せているようですが、八咫烏を祀る神社は実は和歌山県熊野大社にもあり、日本サッカー協会の役員はこちらで必勝祈願を4月に行っています。

ここらへんの事情は下記のサイトで整理されて報告しています。http://www.sanspo.com/soccer/02worldcup/wc200204/st2002040302.html
興味のある方はジャンプして見て下さい。

また、八咫烏で検索すると、出るは出るは・・・平塚には八咫烏というサッカー応援サイトもあり、ここのBBSで「八咫烏というお酒が販売されていますよ」と報告されていました。

やや辛口の特別純米、ボールボトル入り!!

本州には生息しない「かちどり」を代表戦の行われるスタジアムに連れていって、「カチカチ」と鳴かせたい誘惑に駆られるけれど、あれは天然記念物として保護されているようです。
ま、なにも知らない鳥にとっても迷惑な話だけれど・・・

ワールドカップの会場に踊る八咫烏を大和にたどり、九州にたどり、朝鮮に時空を超えてルーツをたどるのはあながち妄想とはいえないと思いますが、皆さんどう思いますか。

そして、サッカーなんかぜーんぜん興味がないという北根さん、これで少しはワールドカップを見る気になりましたか。

 



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KITANE.Hajime
北根 肇 コピーライター、エッセイスト
1926年4月25日生
〒819-1102 福岡県前原市高田297-9   TEL:092(324)7297 FAX:092(324)1182
e-mail : kitane@jc5.so-net.ne.jp
●日本美学会、民族芸術学会、日本旅行作家協会会員
●京都大学文学部哲学科美学美術史専攻卒。
●専門分野:美術、デザイン(建築一般・キリスト教の教会建築・家具インテリア・商品一般 )、鉄道、香水、自然環境・都市空間の景観、文化的所産の民族的・歴史的背景。
●得意エリア:日本(とくに古代伊都国)とヨーロッパ。
●著書:『現代芸術七つの提言』共著『世界の香水』『ルイ・ヴィトン独創への共感』の編集ほか海外取材記事多数。
●趣味:旅行、鉄道模型(0ゲージ)、鯉の飼育、現在市販されていないもののコレクション(蓄音機、SPレコード、手動計算機、蛇腹式カメラなど)。
 
伊都国通信の著作権は全て北根氏に属します。

伊都国通信は隔月掲載の予定です。
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