------------日本歴史の重要なルーツ------------
福岡の西隣・糸島半島からの隔月連載WEBエッセイ
 

                        博多湾の糸島半島側から見た志賀島


連載
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日本歴史のルーツのルーツは?
  

 

 くの書店で、小田静夫監修「日本人の源流」という新書版(青春出版社)の小冊子 を買い求めた。

小さな字の副題−幻のルーツをたどる−に魅せられたらしい。

監修者の小田氏は1942年東京都生まれ。

東京都教育庁文化課主任・学芸員(考古学)、日本第四紀学会幹事。

日本人のルーツについて、さまざまな角度から研究を進めている、と紹介されている。

 の興味ある著書のあらすじを浅学の私なりにたどってみよう。

縄文人、弥生人が日本の歴史の出発点で果敢に生き抜き、その結果として、そのおかげで今われわれは生きている。

今から、およそ1万2千年前に始まる縄文時代になって土器が作られるようになり、縄文時代7千年以上を経て、紀元前3、4世紀に九州 北部に水田稲作が伝来し、弥生時代が始まる。

 では、この稲作はどこから日本に入ってきたのか。そのルートが3つあるという。

(1) 中国の華北地方→朝鮮半島→九州北部
(2) 中国の長江(揚子江)河口周辺地方→(朝鮮半島南部)→九州
(3) 中国の華南地方→台湾、琉球列島→九州

そして、山陰・山陽、四国、近畿地方へ広がり、紀元前後ごろに東海道一帯、 そして、さらに200〜300年後に東北地方へ稲作が伝えられた。

ちなみに、この米の品種はジャポニカ種で粘りがあり、味わいが濃い。

それに対して、 インディカ種はあっさりしていて、現在私たちが常食している米に比べて形が細長い。

この米は戦時中の食料不足で外米として配給され、保管や輸送の悪条件だったのか、 独特の臭みがあって、当時の日本人には不評だった。

その記憶をおもちの方もおられようが、 私と同じく不幸な戦争中の経験であろう。

しかし、当時の異常状況でのインディカ種 の米が独特の風味と味わいをもった米であることを心と口で楽しんでほしい。

炒めご はんのさらっとした味わいはジャポニカ種にはない味わい。

これまでフィリピンやイ ンドネシアにたびたび取材旅行して実感した。

もう一つ。福岡に来て7年、沖縄の「泡盛」を楽しむ会 で、インディカ米で醸造することを知り、その独特の味わいと風味に魅了されたこと、 そして世界的なコンクールで評価されていることをお伝えしてしておきたい。

その銘柄は、「海乃邦」。


 話はかなり脱線してしまったので、元に戻そう。

日本列島に初めて登場した縄文人はどこから来たのか???

その縄文人に続いて、弥生人はどこから、どのように登場したのか???

チンパンジーの仲間から枝分かれして、人類=ホモ・サピエンスが誕生したのは600万年前らしいということが最新の分子生物学(DNAや体内でつくられるタンパク質 を分析する生物学)の研究成果で解ってきた。

その舞台はアフリカ東南部で、10万年前まで、そこで気が遠くなる長い期間を過ごした。

そして6万年前にユーラシア大陸に移動する集団とアフリカに留まる集団に分かれる。

食材である動物がユーラシア 大陸へ移動したからという説もあるらしいが定かではない。

アフリカに留まった集団 が黒人=ネグロイド、中近東へ移動した集団は西へ向かって4万年前に現在のヨーロッ パに住み着き白人=コーカソイドの祖先となり、それに対して東へ向かって6万年前 に遠大な旅を始めた集団、それが日本人を含むモンゴロイドの祖先となる。

しかし、このモンゴロイドは2億年前から6千万年前までの中生代の全地球上の造山活動 で出来ていたヒマラヤ山脈に阻まれて北と南に分かれ、2万年前にシベリア、5万年前に インドシナ半島にようやくたどり着いた。


アジア人の誕生(ホモ・サピエンスの拡散)
「日本人の源流」を参考に作図


当時のインドシナ半島はインドネシア諸島やフィリピン諸島などと地続きだった。

現在は殆ど海となっている。幻のスンダランドといわれているところ。

ヒマラヤ山脈で北と南に分かれたモンゴロイドがこのスンダランドで出会ったのだが、そこから南に向かった集団はオーストラリア先住民=アボリジニの祖先となり、北に向かった集団はシベリア、東アジアに広がって陸続きだった極東の日本に到達して、縄文人の祖先となったと考えられている。

1970年に沖 縄県具志頭グシカミ村の港川 石灰岩採掘場で発掘された1万8千年前の数体の人骨化石がわれわれの祖先。

港川 人(ミナトガワジン)と呼ばれている。

この港川人のルーツはさまざまに類推されている。

ジャワ島のワジャク人→港川人、 中国 南東部の柳江人→港川人、北京周辺の山頂洞人→港川人、沖縄県宮古島のビンザアブ 洞人 →港川人、静岡県浜北市の浜北人→港川人など。

中近東から東に移動を繰返して数万年後にアジア全域に広がったモンゴロイドはベーリング海峡を渡りアメリカ大陸を経て、1万2千年前ごろには南米大陸の南端にまで 移動していた。

超壮大な人類移動のドラマには圧倒される。

そのドラマの延長線上の目に見えないような点の上で生かされている。

その厳粛な一瞬に何かが聞こえてくる。

先に述べた600万年前のアフリカ東南部に誕生した人類を祖とする縄文人が日本列島に最初に素朴で逞しい文化を創生したのは1万2千年前。

温暖湿潤な環境条件に恵 まれた縄文時代はおよそ1万年続いた。

この縄文時代が始まった当初の日本列島の人口はおよそ2万人強。

前期には10万人、中期には26万人と増加していったが、後期には16万人、晩期には7万5千人に減少。

その原因は気温の低下や狩猟・採集生活の限界と不安定さによるものであろう。

こうした縄文時代末期の窮状に対して弥生時代(300BC〜AD300)になると、およそ600年の間に人口が60万人に激増。

その原因は中国大陸や朝鮮半島からの大量移民に よるもので、稲作水田耕法の伝来による食料事情に飛躍的な改善をもたらした。

彼ら渡来系弥生人の先進的な水田稲作は玄海灘に面した伊都国から次第に福岡平野や佐賀 平野へ、さらに東へ、そして日本列島全域に広がっていった。

伊都国であるこの糸島 地域では今なお農業の盛んなところである。

糸島米は美味いと好評だ。

カブトエビによる除草 など自然農法が盛んで、古代の赤米を今日風に改良された赤米も有名。

野菜も豊富で安くて美味い。

アフリカ東南部から始まって、モンゴロイドといわれる人類のさまざまな細いルーツ が幾重にも織り重ねられて生き続けて来た、その貴重な祖先たちの息吹を受けて、さらに未来へと生き続けねばならない。

そしてまた、我われの祖先たちと同じルートを一足先に?ヒマラヤ山脈ができるころに東 へ移動を続けて玄海灘に到着していたカブトガニに新たな思いでこの夏に会えるのが 楽しみだ。

●追記
小田静夫監修「日本人の源流」に沿って人類の誕生は600万年前でアフリカ南東部だというご紹介をした直後、2002年7月11日の日経新聞の紙面に「人類の起源100万年古く 700万年前の猿人化石 ほぼ完ぺきな頭骨 アフリカ中部チャドで発見」という大見出し。フランス・ポワチエ大のM・ブルネ教授の研究チームによって発見され、「トゥマイ猿人」と命名された。その発掘調査の研究結果が英国の科学誌ネイチャーに紹介されているとのこと。念のため追記しておきたい。


 
 
 


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KITANE.Hajime
北根 肇 コピーライター、エッセイスト
1926年4月25日生
〒819-1102 福岡県前原市高田297-9   TEL:092(324)7297 FAX:092(324)1182
e-mail : kitane@jc5.so-net.ne.jp
●日本美学会、民族芸術学会、日本旅行作家協会会員
●京都大学文学部哲学科美学美術史専攻卒。
●専門分野:美術、デザイン(建築一般・キリスト教の教会建築・家具インテリア・商品一般 )、鉄道、香水、自然環境・都市空間の景観、文化的所産の民族的・歴史的背景。
●得意エリア:日本(とくに古代伊都国)とヨーロッパ。
●著書:『現代芸術七つの提言』共著『世界の香水』『ルイ・ヴィトン独創への共感』の編集ほか海外取材記事多数。
●趣味:旅行、鉄道模型(0ゲージ)、鯉の飼育、現在市販されていないもののコレクション(蓄音機、SPレコード、手動計算機、蛇腹式カメラなど)。
 
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