-------日本歴史の重要なルーツ-------
福岡の西隣・糸島半島からのWEBエッセイ
 

博多湾の糸島半島側から見た志賀島


連載16(番外編)
レトロ病院キョロキョロ入院記

 

 レトロ病院などと言ってケチをつけようというのではない。今は常識となっているバリアフリーという考えがなかったころに建てられた病院。その病院に入院してみて先生、看護婦さん、一般職員の皆さんがバリアフリー化を目指して、古くなった病院をこまごまと修正されてこられたご努力には頭が下がる。車椅子に乗れるようになれば病院のどこへでも独りで行ける。患者に対する暖かく熱い思いが伝わって来て嬉しかった。軽々しく、古くて、ダサイ病院とは言えない。そうした病院運営に携わる方々の苦心、創意工夫が新しい病院への変革を可能にするにちがいない。
 2002年の11月と2003年の5,6月のおよそ2か月の病院生活が終った7月5日の朝、日経の朝刊トップ記事に大きな活字の「病院経営 支援を事業化」の見出しを見て、病院のさざまな角度からの具体的な変革がまじかに迫っているらしく、なんだかホッとした。

 ところが、この病院で今なお元気に活躍している、懐かしい事務機器がある。病室以外の天井裏で、ゴロゴロとまるでボウリングのボールが走り回っているような音が聞こえてくる。看護婦さんに訊くと「エアー・シューター、air shooter。…気、…送、…子。気送子(きそうし)です」というお答えだ。なるほどと、意味がよく解かる。名訳だなあ?ビール瓶ぐらいの円筒が事務関係のデスク近くで、ドドンと音をたてて行き来している。書類や伝票を円筒に入れて送信・受信。ファンタステイックで、レトロな夢?がある。
少年時代のころを、ふと思い出した。ボクが小学校の1、2年のころ、おふくろが京都の大丸へ買い物に行く(当時はショッピングという慣用語はなかった)のが一つの楽しみだった。おふくろが何かを買って支払いをすると、その売り場の店員が20×5×5Bぐらいのケースに売上金を入れ、その階のレジへ向けて柱や梁に設けられたレールにケースをセットしてレジに送金する。お釣りを入れて売り場に戻ってくる。少年にとっては興味津々というもの。それがもとで鉄道模型が好きになったのだろう。
 こんなお話は他愛もないお話なのだが、自分が抱えている病を超え、克服していくためのふしぎな力になるようだ。肉体の痛みや苦しみをほぐしてくれる。

 ある夜、いや、ある朝だったか、洗面所へ行って髭を剃ろうとした。ボクと背中合わせで顔を洗っているらしい車椅子の娘さんが両手につけたシャンプーの泡を力無く見つめている。手を洗うでもなく、顔を洗うでもない。
「どうしたのですか?看護婦さんを呼びましょか?」
「いいえ、手術のことが気になって……」
「ボクもそうですョ。みんなそれぞれ気にしてるんですョ。」
と言ったら、頷いて、笑顔を見せてくれた。
 先生方から「北根さん、頑張りましょう。」と、よく言われていたからか、彼女に「頑張りましょう」と、激励。その時からだろうか、彼女は明るくなった。患者同志お互いに明るく、時にはジョークまじりで、お互いに病を吹っ飛ばすことができたようだった。
 その彼女が手術室に入る前、妹さんにVサインして写真を撮ってもらっていた!?

 2002年の11月に3週間ほど同じこの病院の内科で心臓の不整脈を整えるために検査入院した結果、さまざまな薬で療養を続けて快方に向かっていた。ところが膝の関節が少々だが痛むので、念のために整形外科の先生に診察していただくことになった。MRIという断層写真で左膝の半月板にごくわずかだが、断裂(ヒビ)が見つかり、今なら簡単な手術で済むということで、5月22日、手術のため再入院と決まってガックリ。
 入院して4日目の26日に手術の予定だったが、内科で心臓をチェックしたところ、やや危惧ありとのことで、手術を延期して心臓に力をつけてから再検討となる。手術をしなくてもよいことになれば、、、と思い、先生の前で故意にスイスイと速めに歩く。「北根さん、ダメダメ」と、下手な芝居を見破られという始末。
 その2、3日後、執刀をしていただく主治医と副の先生から「手術は来週の6月2日になりました。(少し身を屈めて)頑張りましょうネ。当日の朝と昼は絶食、11時に点滴を始めて、心身の緊張を和らげる薬を飲んでいただき、12時に肩に軽く筋肉注射をします。しばらくすると、眠くなるでしょう。搬入は12時45分です」との宣告?
 手術室に入る直前に、再びデュエットで「頑張りましょうネ」と激励。「搬入」とは「手術室へ入る」のこと。その時のベッドはメタリックで、ストレッチャーという。Stretcherには伸張具、手袋張り器、担架などの訳語が並んでいる。高低・左右・前後に伸縮自在で、患者を固定するベルトもあったように思う。要するに矩形の張りつけ台だ。
 そのStretcherにやさしく載せられるや、眠くなり、病室を出て帰って来るまでの記憶−およそ2時間半という短時間だったとのこと−は全くない。下半身の麻酔注射の記憶ももちろんない。早朝、背中の筋肉が痛くて、目が覚めた。応急の痛み止めを看護婦さんにお願いしたが、余り効き目が無い。痛み止めの手当てはできない。となりのベッドの患者さんが親切に声をかけてくださったお蔭で、内科のスリムなマリアのような先生から緊急時用の頓服薬を戴いていたのを思い出し、ボクの貴重品袋?を取り出してもらって服用!うそのように楽になった。手術に耐えてくれたボクの心臓にも感謝!
 手術後の回復が速い方だという評価を先生方をはじめ天使たち、あちこちの病室の患者さんたちからいただいて、大変嬉しかった。その喜びを心に深く感じていた。そうした下地があったからだったのか、手術後の3日目、膝の屈伸運動CPM、平行棒を頼りにしての体重バランス歩行訓練、松葉杖の要領習得訓練などが始まる。

 その夜、ふしぎな体験をした。6月5日の午前2時半か3時ごろ淡いけれども非常に巨大な黄色い光のようなものが見え、ボクのさまざまな人生の束のようなものを、赤いリボンで温かく、力強く結んで下さっている先生方、その周りに多くの人たちが集まって下さっている光景が静かに見えた。何か荘厳な場面だった。ボクはベッドの上で身を起こし、両手が静かに結び合わされていくのを感じた。この病院で接した先生方、多くの天使の姿をした看護婦さんたち、患者さんたちはもちろんだが、これまでに、そして今ボクに関わりのあるあらゆる人たち、身内のひとりひとりに(とくにチャメッ子天使の孫もとうみ、せいじに)しっかり支えられているのだと実感した。熱く、強く、優しく………。その時、まさに淡いピンク色の制服をきた天使がボクの側に来て「どうしたのですか?」ボクの見た光景を静かに話すと、笑顔で応えてくれた。そして「はーい、ゆっくり寝ましょうね」と。ボクはスヤスヤと朝まで気持ち良く眠ったようだ。その時の天使の笑顔も名前もしっかり記憶している。
 その朝、直接担当の先生に小声でボクのふしぎな体験を話して、「先生!ありがとう!」
と言った。先生は笑顔で頷いて下さった。

 この病院でボクに関わって下さった先生方とドイツのハンス・カロッサの小説「医師ギオン」とが、重なって見えた。「医師ギオン」はボクがずっとフォーカーシイングしていた医者のイメージだった。偉そうに学生や生徒にくだらない説教を続けるセンコウ、交通違反のドライバーを取調べ中のポリコウを思わせるような医師を嫌っていたようだ。    しかし、天国に行く前に「医師ギオン」に出会うことができて、ほんとうによかった。よかった。青春時代から胸の中にあった「医師ギオン」の本が、ここ2,3年気になって、古本屋の倉庫のようになってしまったボクの書斎のあちこちを時々ひっくり返しては探していたのだが見つからない。遅れに遅れているこの原稿が気になるが、もう一度だけと呟きながら探してみた。すると、積み重ねた資料の下の方から、ひょっこり顔を覗かせた。
うす茶色の表紙の左上に金文字で刻印された、気取りのないHans Karossaのサインがあり、背表紙にはハンス・カロッサ全集 4 とある。目次には医師ギオンに含まれている
14のタイトルが記されている。医師ギオンと少年トーニーとの交流を思わせるタイトルもある。ボクだけの宝物を探し当てることができた。入院中にお世話になった先生方や天使たちから感じていた暖かさは忘れることはできない。

 




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KITANE.Hajime
北根 肇 コピーライター、エッセイスト
1926年4月25日生
〒819-1102 福岡県前原市高田297-9   TEL:092(324)7297 FAX:092(324)1182
e-mail : kitane@jc5.so-net.ne.jp
●日本美学会、民族芸術学会、日本旅行作家協会会員
●京都大学文学部哲学科美学美術史専攻卒。
●専門分野:美術、デザイン(建築一般・キリスト教の教会建築・家具インテリア・商品一般 )、鉄道、香水、自然環境・都市空間の景観、文化的所産の民族的・歴史的背景。
●得意エリア:日本(とくに古代伊都国)とヨーロッパ。
●著書:『現代芸術七つの提言』共著『世界の香水』『ルイ・ヴィトン独創への共感』の編集ほか海外取材記事多数。
●趣味:旅行、鉄道模型(0ゲージ)、鯉の飼育、現在市販されていないもののコレクション(蓄音機、SPレコード、手動計算機、蛇腹式カメラなど)。


 

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