[素顔のアメリカ。サウスベイから] vol.15



 


The J. Paul Getty Museum


美術館を巡って_1



 現在、ブレンドウッドの丘の上に建つゲッティセンターは、展示だけでなく,美術の情報、研究などの機関も備えたスケールの大きな美術館だが,その前身は、ゲッティ氏の旧別邸を利用した,太平洋を見下ろすマリブの丘の上にある小さな美術館だった。
 十数年前、主人とロスで暮らしていた私は、このこじんまりとしたゲッティ美術館が好きだった。
 コレクションは、古代ギリシアなどの美術品、中世から印象派までのヨーロッパ美術史にわたる絵画、そして18世紀のフランスの装飾家具などだった。入館人数の制限(予約制)があったので、静かに,ゆっくりと,それぞれの作品を鑑賞することができたのだが、ロココの家具は好きでないし、絵画にしても当時の私には興味が持てず、私はもっぱらこれらの展示作品の前を通過するだけだった。
 けれども、ギリシア、ローマ,エトルリア時代のコレクションはすばらしかった。ここは、ローマのヴィラを模して建てられており、噴水のある中庭を囲む回廊を歩いていると、空と海のまぶしい青、噴水の水に踊る光、そして、穏やかな潮風に包まれた。そこで観る、それらの作品は、生き生きと目に映ったのだ。そして、庭に出て、ハーブガーデンを散歩したり、テラスのカフェでお茶を飲んだ。このヴィラにながれる、静かで、ゆったりとした時が、私は気に入っていたのだ。



 ロスに暮らし始めて、一年ほどが過ぎた頃だった。生活に慣れるのに夢中だった日々も過ぎて、まだ子供もなかった私は、じわじわと寂しさを感じるようになっていた。そんなある日、私の父が、南部アメリカへ出張に来たついでに、ロスに寄ってくれるという。ほんの2泊だけの短い滞在だが、嬉しかった。父をどこに案内しようかと迷ったが、ゲッティミュージアムに決めた。
 昼過ぎに、父と二人で出かけた。とはいえ、私は、「お父さんの洗濯物と一緒に私の服を洗わないでよ!」と言い始めた思春期の頃から、父とはろくに話した事も、二人で出かける事もなかった。可愛気のない娘のままである私は、今更父と何を話していいか思い付かない。父にしても、時差ぼけもあっただろう、ロスはいいところだなぁ…と言うと黙ってしまった。
 私のお気に入りの古代ギリシアなどの作品を観終わったので、あとはさっさとカフェに行こうと、私は思っていた。
 ところが、父は、中世、ルネッサンス(マニエリスムの画家、ポントルモの作品”コジモ一世の肖像画”があるのには、個人的に感激!)、バロック、オランダの風景画…と、熱心に、一つ一つの作品を観ながら、黙々と歩いてゆく。仕方なく、そんな父の後を、私は退屈しながら、やっぱり黙ったまま付いていく。静かな館内には、父と私の足音だげが響いていた。


 ようやく最後の展示室、印象派の部屋に入った。
ドガ、ルノワール、ミレー、ゴッホ…、と、ある一つの作品の前で、父はハっと立ち止まった。
 その絵に見入っている父に、笑みがうかんでいた。そうしてしばらく眺めると、絵の横に張られた画家の名前と作品名に目をやった。
「へぇ〜」
と驚いては、さらに眺め続けた。




The Rue Mosnier with Flags

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 作品名「The rue Mosnier with flags」
 作者  Edouard Manet
 人通りのまばらなパリの街角が描かれていた。画面全体に広がる白い色の中に、アパートのそれぞれの窓から掲げられた、赤、青、白のフランスの国旗がはためいていた。
 マネの最晩年の作品だった。
「マネは、こんなに明るい絵を描いたんだねぇ…。あぁ、いい絵だなぁ…」
 父は傍らにいた私に気付いたのか、嬉しそうに言うと、またしばらくの間、絵を眺めた。穏やかな、優しい笑顔だった。
 それから、テラスで一緒にビールを飲んだ。
遅い午後の風が、ハーブガーデンの香りを載せてそよいでいた。
「老齢になった作家が、時として、解き放たれたような、明るく澄み切った作品を生むことがあるのだよ。
マネの作品というと、生真面目で暗い色調のものというイメージがあったけれど、あんな光に満ちた明るい絵を描いたんだねぇ。いい絵を見せてもらったよ。ありがとう」父はしみじみと言った。
65、5X81cmの、決して大きくはない、白いばかりの絵である。こんな絵があったことすら、私は今まで気付かなかった。父に言われて初めて見てみた。確かに、画面の白は明るく、美しかった。が、私には寂しさが心に残る絵だった。それでも、父の感性はすごいなと思った。娘として、ちょっと嬉しかった。
 美術館を後にして、マリブの海岸に降りた。
夕暮れ近く、鋭さのなくなった光は、水色、紫、ピンク…優しげな色をみせていた。父と私は相変わらず、黙ったままだった。
 翌朝、父は日本へ帰っていった。




 それからも、時折、一人で美術館を訪れた。お気に入りの古代の展示室を見終わると、マネの「 The rue Mosnier with flags 」 を見に行くようになった。この美術館のどこにいるよりも、一番長くこの絵の前に立っていた。

 1年ほどしてから、私たちはロスを去った。その後、マリブのゲッティ美術館は閉館になった。ブレンドウッドに新たに建ったゲッティセンターへ移転したためだ。
 あれから十年後、再び、私たちはロスに暮らすことになった。ゲッティセンターを訪れると、あのマネの絵もちゃんとこちらへ移っていた。その絵を見つけた時、懐かしさがこみあげた。家族に会えたように嬉しかった。
今でも、たまにここを訪れては、マネの絵を見る。この頃、ようやく父の言った「明るさ」の意味がなんとなく分かるような気がしている。




キクラデス/BC2500年頃/ハーピスト
(キクラデス文明;ギリシア最古の文明)
大理石で創られた高さが30センチほどの像。
素朴でいながら、温もりと祈りを感じさせるものでした。
残念ながら、これはゲッティセンターには展示されていません。
この作品を観たいなぁ…。
早くゲッティヴィラが開館しないかなぁ〜と、思っています。


illustration:Mikako Sasaki

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現在、マリブのゲッティ美術館は改築中で、2006年、1月に、ギリシア、ローマ、エトルリア時代の作品の展示館と、美術教育施設を兼ねた「ゲッティ・ヴィラ」として、オープンの予定とのことだ。











2002/3年 2004年 2005年 Vol.14 Vol.15
番外編:
ヨセミテの冬 一枚の絵 ハロウィーン