文:グルーチョ・ホセ 画:ペリカン
 
 


いくら読んでも読みきれない 其の弐
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知的な面ではとるところがないが
P.G.ウッドハウス「ジーヴズの事件簿」ほか


 本を読んでいて笑いが止まらなくなったのは、ずいぶん久しぶりの経験だった。電車の中だったので、前に座っていた若い娘が不思議そうに私を見ていた。それはそうだろう。頭のはげたオッサンが本を広げたまま、なんとか笑いをこらえようと、涙を流さんばかりにしているのだから。

 私が読んでいたのはP.G.ウッドハウスの「ジーヴズもの」である。文芸春秋から出た「ジーヴズの事件簿」を皮切りに、以下国書刊行会から七冊が出ている。いずれにもていねいな解説がついていて、私はまったく知らなかったが、ウッドハウスは世界的な人気のあるイギリスのユーモア小説家だそうだ。オックスフォード大学の名誉文学博士号を授与されているから、評価の高さが分かろうというものである。

 さて、「ジーヴズもの」は一九二十年代から三十年代(あるいは四十年代か)に書かれたシリーズで、ロンドンに住む独身の青年貴族バーティことバートラム・ウースター氏に仕える従僕のジーヴズが主人公である。素晴らしい頭脳の持ち主で機知縦横、冷静沈着。あくまで慇懃で、めったに笑うこともない。笑うとしても、口の両端をちょっと上げるだけという人物である。話し方はきわめて重厚でギリシャ哲学からシェイクスピアに至る古典を縦横に引用し、日常会話ではまず使われないような難しい単語を当たり前のように使う。これがバーティのお気軽な話し方と好対照で、ユーモアの重要な要素になっている。
 当然のことながら、「ジーヴズもの」のもう一人の主人公はこのバーティである。これがまことに好人物で、私は大好きだ。ある時ジーヴズが休暇をとることになり、代理の従僕が来る。バーティはジーヴズがこの代理の従僕に家政のあれこれについて説明しているのをそれとなく聞いてしまうのだが、なんと主人である自分についてジーヴズは「知的な面ではとるところがないが」(つまりバカということ)というようなことを言っているではないか。一瞬バーティは大いに傷つくのだが、でも考えてみれば、ジーヴズに比べれば確かに自分の頭はそんなもんだな、とすぐに納得してしまう。素直なのだ。
 というのは、彼にはアガサ伯母さんとダリア伯母さんという二人の恐い伯母さんがいるのだが(アガサ伯母さんの方が強烈)、子供の頃からこの二人に「おまえは本物のバカだ」とか「おまえは何一つきちんとやりとげたことがない」とかさんざん言われながら育ったので、すっかり慣れてしまっているのである。彼はイートン校からオックスフォード卒業で、こんなエリートコースを歩んできた人間はみんなすごく優秀なんじゃないかと思うのだが、どうやらオックスフォード卒にもバカはいるらしい。このあたりのイギリス事情(あくまで第二次世界大戦前のことだが)を教えてくれるのも、このシリーズの魅力になっている。
 さて、バーティ本人だけでなく、この二人の伯母さんやバーティの友達にさまざまなトラブルというか厄介事が生じ、それがバーティに持ち込まれ(伯母さんたちからは押しつけられることが多い)、彼は彼なりに解決しようと努力するのだが、なにしろ知的な面ではとるところがないものだから事態はますます混乱し、結局はジーヴズの頭脳に頼ることになり、その縦横の機知によって無事解決、というのが基本的なプロットである。この間のバーティのオタオタ振りが大いに笑わせてくれる。
 国書刊行会から出ているうち二冊は長編だが、あとはすべて短編集である。私の読んだところでは、ジーヴズの頭脳の切れ味には短編という形式がふさわしいようだ。


*ジーヴズの綴りはJeevesだが、翻訳の表記は文芸春秋版が「ジーヴズ」であるのに対し、国書刊行会版は「ジーヴス」になっている。研究社「リーダーズ英和辞典」を引いてみたところ「ズ」と濁音になっているので、本稿ではそのように表記した。

 

 


其の壱

 

 
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