Vol.12[某月某日 ペッパー軍曹の内袋-1]


BBSで盛り上がって・・・と書いても、今BBSを覗いてみたらその時の記事はとっくに抹殺されていた。
このところ、頻繁に更新されていたからねえ。
ザ・ビートルズとぼくのリアルタイムな出会いを書いたけど、そのとき書き込んだ内容を思い出しながら、本題に入る前にもう一度ここでおさらいをしておこう。

武道館での来日コンサートのTV中継を見て、熱狂的なファンの騒ぎには度肝を抜かされた。
1966年、ぼくが高校3年のときだ。
以来、友人から借りたレコードを聴いたり、リリースされるニューアルバムを注目するようになった(まだアルバイトもせず、おこずかいの少ないぼくはLPレコードを高校時代に買うことはなかった!)。
来日当時はアイドルグループなのに「Yesterday」など、オリジナルでずいぶんきれいな曲を書くなあ、と思っていた。
それが1965年リリースの「Rubber Soul」あたりから、それまでとは印象の違う曲を書くようになった。
聞き慣れたPOPSの範疇からずれはじめる。
以来、彼らが解散するまで、発表される曲は変貌し続ける。
新曲発表のたびに「なんだろうこれは?」ととまどい、無条件にのめり込むということはない。
でも気になる・・・もう一度聴きたくなる。
この繰り返しだった。
「StrawberryFieldsForever」はジョン自身最高傑作だと言っていたらしいが、はじめて聴いたときは随分奇妙に聴こえたものだ。
1967年6月、「Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band」がリリースされたのは、ぼくは美大受験に失敗し浪人していたときのことだ。
ふとんのなかで毎晩深夜放送を聴いていた。
たぶん「パックインミュージック」だったと思うが、本邦初公開ということで、ザ・ビートルズの最新アルバムを聴くことになった。
曲の切れ目がなく、ノンストップでアルバムまるごと聴かされて腰を抜かした。
例の「なんだろうこれは?」というとまどいはあるけれど、このときは「言葉でうまく言い表せないが凄いものを聴いちゃった」という想いのほうが強かった。
聞き終わって放心状態のぼくの横っ面を張り飛ばしたのが、この番組のDJ氏だった(残念ながらその名前が思い出せない)。
「こんなくだらないアルバム作りやがって!」と、口をきわめて罵りはじめた。
「もう、ビートルズもお終いだね」と断定までしたのだ。
当時は、インターネットも衛生TV放送もないので海外の情報は限られた人にしか伝わってこない。
いわば、情報通のDJは今では考えられないほど権威があった。
ぼくらは彼らの推奨する「最新のPOPS」をうやうやしく聴いていたのだ。
その権威とプライドをかけて彼は断定したんだろう。
でもぼくは、この「もの凄いもの」を否定されるのは我慢がならなかった。
ふとんのなかで「なに言いやがる!」と言い返していた。
それまで聞き分けの良い子だったのに・・・親に反抗したようなものだ。
この反抗的な子供はぼくだけではなかった。
翌日だったか翌週だったか、同じ番組を聴いていてまたビックリした。
くだんのDJ氏が平謝りに謝っているではないか。
抗議の電話が凄かったんだろうねえ。
父親が子供に畳に額をすりつけて謝っているような異様な情景が、ラジオを通して見えるようだった。
ぼくは「ざまーみろ!」というより、むしろあっけに取られてしまった。
・・・・・
うーん、なかなか「ペッパー軍曹の内袋」にたどり着かないなあ。
長くなりそうなので今週はここまで。
以下、次号に期待!?・・・(ペ)

 
 
 
 

 
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